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天気雨
A PLACE IN THE SUN(496×344m/m)
'04年の年賀状に使った絵。明るい年、陽気な明日を連想させる虹がたくさん浮かぶ絵。色彩の美しさにはただただ感服。
わ
CURCULATION(351×503m/m)
’05年の年賀状は「わ」。福田さんのお気に入りは、「一連のタンポポシリーズ」。「”わ”は綿花を描いたものですが、にも通じることでしが、”不老不死”なんですよ。右が綿毛、左が咲いてますよね。右がだめになってもまた左の力でよみがえる。つながっているから死ぬことはないんです」
微笑み(520×730m/m)
HIGHER
「情愛の神々宿る地・中央インド・カジュラホでの作。
1000年前の人のつくりだした「なんでもあり」に救
われました」(福田氏談)
道草
ON THE ROAD(496×344m/m)
「路上観察が日課のようになっています」(福田氏談)
アニメのキャラクター
小額館から発売したDVD『ぼちぼちブタブタ』の親子ブタ(写真左)と、NHK教育テレビ『いないいないばあっ!』のキャラ・カエルのかまたさん(右)シリーズは子どもたちに大好評! 「カエルのキャラを視聴した自閉症の子どもが、画面に接吻してくれたという報告がありました。本望です」(福田氏談)
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なるべく人に揺さぶられたいという
気持ちがたくさんある。
―自分のなかのパワーを自覚していますか。ご自分の性格をどう分析してますか。
のってる時は心の力を強く感じます。単純でものすごく簡単なことしかできないつもりなのですが、最近、「この人なにを考えているのかわからない」というふうに見られていることに少しづつ気付いてきました。うん。自分の力、能力を単純に進もうって思うことには、自分の中ではじつは犠牲がいっぱいある。その時にやっておかないとできない。確定的な能力がどこにあるかわからないから。
自分? わがまま。わがままです。脳みその中に浮かんできたことを信じられないとやってられない、単純にならなきゃできないです。そういう表現が、その時は自分には見えないけれども、周囲の人にものすごく迷惑をかけているんじゃないか、というのは、あの、うん…(笑)。
自分としては辛い。辛いけど、表ざたにできないからね(笑)。強引なところと、正反対の、大臆病と、両極端ある。辛いですよ(笑)。
―福田さんにとって、絵はなんですか。人との関わりの…。
たとえば、発表する場所が少なくなっている時って自分はね、疎外感がある。いつもものすごくモノをつくりたいわけですね。なにかを見た時、自分だけにしかない視覚に気がつくと、それを何とか形にしたくなる。形にすると、自己満足じゃなく、人に見せてなにかとなにかがあってなにかが生まれてくる。
生きているって、自分に対する反応、リアクション、誰かがこう思ってくれたら、という想いがあっての話だと思う。だから、なるべく人に揺さぶられたいという気持ちがたくさんある。好きとかキライとか、キライでもいいや、こんなのキライだよって言われてもいい、なにも言われないよりいい。相手にされたいんです、もっと言えば。
それはまた次の自分の違う力をいっぱい生んでくれる。人とのかかわりはものすごく、うん、それがあっての生きるってことだと思っている。
―福田さんと関わる人のメディア、それが福田さんが描く絵ということですね。
そう、そう。つねに、自分ひとりで生きているんじゃなくて人の力がある、と思います。そういうなかで、どんどん広がっていく世界、掛け算になっていく世界もある。
―限りなく奥深くそれを感じてしまう、選ばれた人ですね。
え? 他のことを考えることがないんです。なにもできないもの、ぼく。自己表現、自分のなかから湧いて出てくるものを形にすることに対しては、自分はなにか人と違うものや方法を持っていることは感じています。小さいころはずっとそのことに劣等感を持っていました。
―NHK教育テレビの『いないいないばあっ!』でのカエルのかまたさんや、DVDの『ぼちぼちブタブタ』の親子ぶたのキャラクターには驚きました。官能、幼児教育と、福田さんの世界は一貫しているのですね。
今ね、『いないいないばあっ!』に関わってから、幼児教育にものすごく興味があります。ゼロ歳児から3歳児ぐらいまでの、まだ脳みその配線が行われていない状態の子どもたちにそこにある環境で遺伝子がどう生きるか。できるだけ広いこだわりのない大海を、自分のカエルを見た子どもたちが抱いてくれたらいいなぁって思ってつくっていました。なんでもありの世界を。
親があれをやっちゃいけないこれもいけないと、もしこどもが言われたら、なにも疑いがないからいけないものだと思って、そういう世界をつくってしまう。潜在観念ってそんなもの。一生消えないかもしれないその枠のなかでものの発想を決めたりします。枠をなるべく解き放ちたい。
今、いちばん大事なことってあるでしょう。昆虫、植物、動物だとか含めて地球の生き物のなかで人の存在がどっちに向かっているのか、破滅の方に向かっているのは確か。でもこどもはどんどん生まれている。自分にできるのはもう、くいとめることしかできません。長引かせるっていうのか。これがあのテレビ番組やDVDに携わってから、ものすごく大きく自分の心のなかを占めています。
―子どもたちが絵を見るように、おとなは見れない。「鑑賞する」ということになります。
絵とは、見て、きれいだとか、ふわーっとするとか、ウルウルするとか不思議とか…簡単に考えればいいと思います。なぜかむずかしいものと思われる。音楽などよりかなり厳しい立場ですね。みんなが理屈をつけすぎるんじゃないかなぁ。絵って、いたずら書きの延長です。小さい時にろうせきで道に絵を描いた、自分の空想力だけがたよりの世界なので、なんでもあり、なんです。
人間の顔もからだもどんどん変わってきたわけで、進化なのか退化なのか、いいのか悪いのかわからないけど、生き物の歴史のなかで人間社会だけは急激に便利になったけれど、人間そのものはまだまだ自然です。人間が疲れたときに自然に触れたいという気持ちはやすやすと消えるものではない。「絵」は、一人ひとりが自然な心に触れられるものかなぁって僕は思ってる。
―今後はどういうものを描いていかれますか。
絵は人工物ですが、そのなかに、心の波の自然をとらえることができるかというところに大きなハードルがあります。そこばかり意識していると描けないけれど、自分が自然になれないと。
ポペイジアンのぞうりの絵(※息子さんの福田遊太さんのユニットのCDジャケットに使われています)もそうですが、今は人工物も絵として天然自然に見せられるかという頭がある。似顔絵だって面白いと思っている。モチーフは何でもいいやって思っています。
誰でも知っている世界を自分のほうに手繰り寄せて、違う側面を見せたいという想いがいつもあります。東京タワーでも京都の風景でも、だれでも知っているところに、全然違うきらめきが出てきたらいいなあ、って。それで人にきらめいてほしいなぁって。
―これからもがんがん素晴らしい絵を見せてください!
はい、描き続けたいです。きょうは楽しかったです。
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